おぼえがき

おたくのひとりごと

眠れる雪の罪

※2016.06.09夜、11昼、12昼観劇

DisGOONie presents vol.3『Sin of Sleeping Snow』を見た。
ネタバレ満載。

初めてのディスグーニー作品観劇。

初日マチネが4時間と聞いて、覚悟はしてたんだけど、
元々あんまり知識がないこともあって1回目は上演時間の長さに負けた。

2回目以降は登場人物も覚えたし大筋もわかったんで、
かなり細かいところまで見られるようになった。
長さ自体もぎゅっとコンパクトになったしね!

天才山県昌景と悲劇の当主武田勝頼
勝頼の敗退する長篠の戦いに向かって、ストーリーは進んでいく。

全編派手な殺陣、照明、演出、音楽に彩られてるんだけど、とにかくセンスがいい。
衣装、ヘアメイクもカッコイイ。
ボリューミーな衣装だから、殺陣とかで回転した時にしっかり広がる。
3枚の仕切りを使ったシーン切り替えは鮮やか。
音楽も挿入歌も美しい世界観を形作ってる。
オープニングと、クライマックスでのリプライズが本当にカッコイイんだー。

鈴木拡樹くんの昌景。
何度か彼を舞台生で見てるけど、彼の殺陣はいつもめちゃくちゃ作画のいいアニメの戦闘シーンを見てるみたい。
どの瞬間を切り取っても全部絵になる。
一瞬一瞬の留めが物凄く上手いんだな、きっと。
天才であるがゆえに、先が見通せてしまう空虚さみたいなものを感じた。
昌景にとっては信玄公と天下を目指した瞬間だけが真実だったんだなあと思った。

安西慎太郎くんの勝頼。
立ち居振る舞いが身分の良さを感じさせる。美しい。
役柄的に殺陣が少ないのが残念だけど、それでも数少ない殺陣のシーンは圧巻。
重力を感じてるのか?ってくらい動きが軽やか、回転が速い。
彼の殺陣は唯一無二ですなあ。
実力以上の重責を背負い、徐々に追い詰められていく勝頼をヒリヒリするくらい丁寧に演じてた。
「死ねばいいと思ってた」と昌景に叫ぶシーンは本当につらい。
信玄公の愛を一身に受ける昌景に対する激しい嫉妬心。
口にすると本気で向き合わなくちゃいけなくなるから自分の中に押し込めていたそれを、
殴りつけるように本人にぶつけた。
勝頼が素の感情を爆発させて、初めて本音を曝け出した瞬間だった。
死んだ信玄公や四天王に背中を押されて、何かをぐっと堪えて走り出す勝頼のシーンも涙腺が緩む。
安西くんは激しい感情の揺らぎを表現するのがとても上手い。
観客である私たちが共通してどこかに持ってる感情の欠片を刺激するから、
見ていてとてもヒリヒリするんだと思う。

新垣理沙ちゃんの春日虎綱ちゃん。
初めて演技を見たんだけど、凛々しい! かわいい! カッコイイ!
衣装もとってもキュートだし、殺陣も上手い。
虎綱ちゃんは一目でファンになってしまった。
声がもっと通るようになれば、もっとよくなると思う。喉の調子悪かったのかな?

山口大地くんの内藤昌豊
舞台上に立った時の存在感がすごい。
ビジュアルももちろんなんだけど、声の出し方、動き、自然と人の目を惹きつける。
一番大事なことは口に出さない、漢の中の漢。
瀕死の時に「虎綱…虎綱…」って呟くところで泣いてしまった。

小谷嘉一くんの秋山虎繁。
殺人兵器のように無表情でザクザクと人を斬っていく殺陣がとてもいい。
あれだけ物静かで感情を表に出さない秋山が、
ボロボロになりながら虎綱ちゃんに「みんな無事です、だから生き延びると約束してください」って言うシーンは本当に苦しかった。
自分は四天王ではないと言っていたけど、でも秋山は確かに四天王の一人だった。

谷口賢志さんの明智光秀
とても魅力的な明智さん。
落ち着いた物腰で語り掛けてくる時の声が特に素敵。
背が高いから舞台上の存在感も抜群、ガンアクションも最高。
有能で周囲への気配りもできる、織田家臣団のお兄さん。
ただ有能であるだけに背負わされるものが大きく、見えてしまうものも多過ぎて、
これから女媧に狂わされていくのかと思うとつらい……
信長を信じ、真っ直ぐについていこうとする秀吉とはとても対照的。
12日前楽、家康の日替わり回想シーン「浦島太郎」で、前髪で釣り竿やらされてたのはクッソ笑ったww

石川智晶さんの女媧。
まさに人あらざるもの。
神々し過ぎて眩しい。
そしてさすがの歌声。
女媧の存在によって、舞台全体に薄い氷のフィルターをかけたような世界観になってる。

勝家さんのジャイアンツネタを意地でも削らない姿勢好きでした。
でもジャイアンツのスタメンとか落合福嗣くんとか三冠王とか野球ネタのオンパレードだったけど、
観客女の子ばっかりの舞台でよくやったなww
全然通じてないと思うんだがwww

とにかく殺陣が激しくて物語自体も長いから、役者さんは本当に大変だっただろうなと思う…
お疲れさまでした…

キーワードは「季節」「罪」「雪」とかそのあたり。
この比喩のオンパレードが全然意味わからなくて1回目はただただ物語の筋についていくのに必死だった。
3回目にしてようやく自分なりの解釈が出て来た。

「罪」とは、何をしてでも天下が欲しいと願うことかな。
昌景は実の父親を殺してでも信玄公と天下が見たかった。
明智さんは信長の突き進む天下への道筋に疑問を感じていた。
彼らはそれぞれ女媧のお眼鏡にかなった。

昌景は長篠の戦いで一体何をやろうとしていたのか?
馬場さんが、戦は思いや美学ではなかったこと、それに気付いていたのは昌景だけだったことを勝頼に謝るシーンがある。
織田信長の出現で、時代は新しい局面に進んだと考えていいと思う。
その象徴が種子島
昌景は、信玄公や四天王の「風林火山」のような美学の元に行われる戦は、
もう通用しなくなったことに気付いていたんじゃないか?
信玄公や謙信が築いた刀と馬による戦国時代は、個々人の強さが重要になる。
技術が要求されるから。
だからそこに美学とか信念とかが生まれる。
でも鉄砲にはそんなもの必要ない。
ほとんど訓練を受けていなくても、大勢並んで引き金を引けば、優秀な武将を撃ち殺せてしまう。
史実的には鉄砲だけじゃなくてもっといろいろあるみたいだけど、象徴としての種子島ね。
いずれ幕末に繋がる、近代の匂いのするものと言ってもいいのかもしれない。

昌景は現四天王たちに、長篠で死んでほしいと言った。
それが昌景の二回目の罪となるわけだけど、
どういう罪かといったら、「思い」や「美学」の塊のような武田四天王
つまり古い時代のものを全て捨てて、勝頼に天下を取らせようとしたこと。
自分たちでは、信長の連れてくる新しい時代の波に乗れないことをわかっていた。
昌景にとって信玄公と共に歩んだ四天王は本当に大事なもので、それを変えることはできなかった。
彼がこの〝場〟にこだわらなければ未だに天下を取る器で居続けられたのかもしれないけど、
昌景はそうはしなかった。
代わりに覚悟を決めた明智さんのところに、女媧は現れた。
それから多分、新しいものの捉え方ができた家康のところにも。

五つ目の季節とはなにか。
昌景は五つ目の季節とは勝頼だと言った。
四天王は四つの季節に割り振られた。
四つの季節はぐるぐると移り替わりながら繰り返す。
そんな中で、五つ目の季節とはつまり、
それまで繰り返していたものが終わり、新しい段階へ進むということ。
時代が移り変わるということ。
勝頼は、信玄公や謙信が駆け抜けた時代の、次の世代。
昌景は勝頼であれば新しい時代の波に立ち向かっていけると思った。
「季節は本当に四つでしょうか?」という問いはつまり、
繰り返す季節の中にも新しい風が吹き込むのではないかということかな。

昌景はいつ、自分を含めた古い時代を捨てることを決めたのか?
彼が女媧に、天下を取りたいと言うことはもうない、と告げたのは、勝頼に詰られた直後。
勝頼は昌景に、信長が本願寺を焼き討ちする未来も察していたのかと訊く。
昌景は肯定する。
では何故なんの手も打たなかったのかといったら、
もう完全に憶測でしかないのだけど、
昌景はその可能性を察することはできても、信長が実際にその手段を取る、という考えには及ばなかったんじゃないかと。
昌景もやっぱり「思い」の武田の四天王だから。
イジメる戦を嫌う武田だから。
あの結果を受けて、昌景は自分たちでは無理だ、ということに気付いた…んじゃないのかな……
それまで、昌景は勝頼と一緒に親父殿を越えよう、って言ってたわけだから。
でももう信玄公を越えるだけではダメ、全く違うベクトルへ進まなければ、天下は取れなくなってしまった。

勝頼は血反吐を吐くような思いで昌景に「死ねばいいと思っていた」と告げた。
勝頼が昌景を憎く思うのは、まあ当然。
勝頼の立場にいたら誰でも死ねばいいって思う気がする。正直。
じゃあ昌景が勝頼に死ねばいいと思ったのは何故か。
端から見たら、勝頼なんて全く信玄公に愛されてなくて、昌景はもう充分過ぎるくらいの愛情を信玄公にもらってる。
それでも昌景は勝頼を見ていた。
昌景は信玄公と勝頼の、血の繋がりという絆を見ていたのかもしれない。
彼は実の父親を殺すという罪を犯して、それと引き換えに得られた信玄公からの無償の愛、信頼、天下への道だったから。
信玄公がいくら勝頼を差し置いて昌景に全家督を譲ると言っても、
昌景は素直にそれを受け入れることなんてできない。
勝頼を四天王に入れても家臣たちは動揺する(実際にしてた)。
当然勝頼に譲る、って言うし、自分は四天王の座に再び落ち着いて赤備えを率いる。
でも本当は、信玄公の全てである武田というものを受け継ぎたかった。
遺志を継ぎたかった。
勝頼さえいなければ、その位置に立っていたのは自分だった。
昌景は「綺麗」でいるために身の内に「汚い」ものを抱えた。
それこそが雪、なのかも。
雪は顔を近付けてよく見ると汚い。

眠りに落ちるということは自分の罪を忘れるということ。
雪で覆い隠すということ。
雪とはいろんな人間的な感情の吹き溜まりか?
近くで見るととても汚いけれど、それが集まり遠くから見ると一面真っ白でキラキラしている。

そして天下とは欠けない月……
つまり時代が、季節が移り変わらないということ。
季節が移り変わらないということは、人を超えるということ。
かなあ。

12日前楽、昌景の最後のセリフが「その罪を背負い、参る」になってた。
元々は「その罪を受け入れ」。
受け入れる、という言葉は受動的。
自分の罪を認めるということ。
でもあの昌景は「背負う」と言った。
覚悟が一段進んだ気がした。
背負う、ということは、両肩でその重みを受け止めると決めること。
責任をもつということ。
能動的。
彼は自分のやったことを認めただけでなく、その責任を負う、という覚悟をした。
自分の命と引き換えに、勝頼に天下を取らせる道を選んだ。

でも、勝頼は最終的に天下を取ることもできず、
追い詰められて自害するということを我々は知っているから、本当に苦しいなあこの物語は……
急激な時代の変化に押し潰される人たちというのは少なからず存在する。
武田一派もそのうちのひとつだった。

西田さんの舞台はこれまで「もののふ白き虎」しか見たことがないんだけれど、
会津と白虎隊っていうのはまさに時代にの荒波に押し潰された象徴的な存在で、
西田さんはそこらへんが好きなのかなーと思った。
私は生粋の判官贔屓なので、武田にものすごい肩入れしてしまう。
ていうか、西田さん義経の話もやってくれないかな。
彼も時代に押し潰された天才の一人なんですけど。

どうもリンカネシリーズと繋がりがあるらしいんだけど、
そっちは未見なので全然見当違いのことを言ってるのかもしれない。


正直初日に見た時はおいおいこの舞台本当に大丈夫か?って(長さ的な意味で)
思ってたんだけど、もう3回目には全然そんなこと感じなかったし、
もっと見ておけばよかった…って思った。

舞台にしろなんにしろ創作って、
書きたいもの全部出すだけじゃなくて、
そこから泣く泣く血を滲むような思いをして削っていく作業もやっぱり大事なんだろうなと思う。
そうすることで作品の精度というか、純度が上がるんだろうなと。
濾過みたいな。
その作業を経てないと、観客はどのシーンが本当に言いたいことなのか、わからなくなってしまう。
実際、初日はそれがわからなくてだいぶ苦しんだし、
濾過された4日目の公演はすごくすごくよかった。
初日の前にそういう濾過作業は終わらせておいて欲しかったけど、
本番始まってからの成長っていうのは著しいものもあるとは思ってるから…とはいえ…うーん…
なんにせよ、見れば見るほどよさがわかってくるスルメ舞台だったことは確か。

またディスグーニーの新作があったら是非見に行きたいと思います。
次は安西くんにもガチガチの殺陣があるといいな!


※追記
新垣里沙ちゃん、小谷嘉一くん、結婚おめでとう!
結婚前最後の共演を見られたことに感動している…!
幸せになって欲しいな~~~!!!