おぼえがき

おたくのひとりごと

アリシーという完成された女の子

※2015.12.12観劇

青山真治演出の『フェードル』を見た。

松田凌くんがお姫様役をやる、って知って、わけがわからなくなってとりあえずチケットを取ってしまった。

松田くん、Kのシロをやった時確かにものすごく可愛かったんだけど、でも男の子だし、普段の松田くんはかなり雄だし、それがお姫様?どうなるの?って気になって仕方なくなったんだ…

 

公演が始まってから見に行くまでしばらくあったから、ついったで感想とかぽちぽち見てたんだけど、露出がすごいとかすごくお姫様とかいやだいぶ男残っててお姫様はキツイとかいろいろ見ちゃって混乱して一旦見るのをやめた。

そしたら松田くんが自分のブログに写真上げてるから、もう、ウワーーーーーーーーッて言葉を失くした豚になった。

女の子じゃん。かわいい。

 

とまあ、こんな感じでフェードルとかラシーヌとかの知識は全く仕入れないまま、そこそこ不純な理由で見に行った。

 

上演時間は100分。そんなに長くない。

一気にストーリーは進んでいく。

中学高校時代に演劇をやってて、桜の園だのシェイクスピアだのもちらっと触れたりはしてたけど、ガチガチの古典演劇を見るのはかなり久しぶりだった。

怒涛のセリフの洪水。

上手い人たちの口から迸るセリフっていうのは洪水みたいに耳に雪崩れ込んできてあっという間に頭の中がセリフにひたひたに浸かっていくんだなあと。

 

とよた真帆さんのフェードル。

どうしてあの長いドレスの裾を一度も踏まずに舞台の上を軽やかに移動できるのか?

全てのポーズが完成され尽くしている。

老婆みたいにへなへなだったフェードルが、恋を自覚し口にしてから目が爛々と輝きセリフに力が灯り人が変わったみたい。

恋する姿は少女じみてるのに考えることは老獪で強か。

舞台セットの階段を転げ落ちてきた時には本当に気が狂ったんじゃないかってぞっとした…

私の想いが怪物という形となってイポリットを殺したんだと叫ぶフェードルの狂気。

ラストシーンの立ち姿は本当に絵画みたい。

 

凄過ぎて茫然としたのが、高橋洋さんのテラメーヌ。

イポリットの死を伝える長ゼリフの説得力と迫力。

語られる言葉のひとつひとつから、観客の頭の中に情景がまざまざと浮かび上がって、イポリットの死の悲惨さに鳥肌が止まらなくなった。

馬に引き摺られて誰ともわからなくなったイポリットの亡骸を見て「イポリット様はどちら…?」って茫然と呟くアリシー…全てを悟って悲鳴を上げて気を失うアリシー…テラメーヌの語り口が悲痛過ぎて涙が出そうになった…

まあ今回は全部嘘だったんですけど…

舞台役者さんのセリフ力ってここまで観客を揺さぶるんですね…

 

で、松田くんである。アリシー姫である。

今回のキャッチコピーが

 

女ってすごい

女ってこわい

女って可愛い

 

そんな中で松田くんが絶世の美女と言われているアリシーをやることにどんな意味があるのか。

アリシーはフェードルに比べて、特別キャラクターそのものが立った女の子ではない。

スペックで形成されている。

絶世の美女、裏切り者の末裔、冷遇されてきた生い立ち、それでも失われない凛とした芯の強さ。

誰にも恋したことのなかったイポリットが魅かれるのも当然、アリシーは途轍もなく完成された女の子だ。誰もが好きになってしまう。

美しい女の子がやれば、それはそれは絵として出来上がるだろう。

でもそれって多分あまりに当たり前なんだろうな。

松田くんという男の子がアリシーを演じるためには、女の子の持つ美しさや凛とした強さへ自分を寄せていかなければいけない。

その寄せていく過程を経て表現された女の子の美しさ、強さに、観客は説得力を見出すんじゃないかな。

歌舞伎の女形が演じる女の人に対して、普通の女の人以上に女らしさを感じるのと似たような感じ。

松田くんが演じていたのは多分完璧な女の子という概念なのかもしれない。

好きな男の人を見つめる眼差し、引き裂かれようとしてもその運命に立ち向かう強さ、柱に寄り添う立ち姿。

はーーーーーーーーーーーーー、とにかくとても可愛かったんですね。

「イポリット様」っていう第一声から全身に変な汗かいた。

美しく若々しく可愛らしくて可憐で一途で一生懸命で素直でっていう要素が全部煮詰まってた。

ちょこちょこ松田くんの元々持ってる半端じゃねえ強さみたいなの漏れ出ちゃってたけど、それでもとても可愛かったんですねえ。

そもそもアリシーの衣装がめちゃくちゃ可愛いんだよなあ。

どうしてもう見れないんだろう。

 

ラストのエノーヌとテラメーヌの裏切りはこの舞台オリジナルらしい。

さようなら、フェードル。こんにちは、フェードル。

なんで『こんにちは、フェードル』なんだろう。

まだまだこの世に生まれてくるフェードルという名の女の怪物に対する挨拶?

演出の青山さんがこういう女性は現代にもいる、みたいな話をどこかでしていた気がするし。

「こんにちは、まだ見ぬ恋に憑りつかれたフェードル(もう私たちは知ったこっちゃないけど)」ってことなんだろうか。

舞台の中央にあった赤い糸玉、運命の赤い糸とは言うけど、でももしかしたらその赤は血の赤なのかもしれないし、運命ってその響きほどいいものでもないのかも。