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おぼえがき

おたくのひとりごと@sweetberrykissC

眠れる雪の罪

舞台

※2016.06.09夜、11昼、12昼観劇

DisGOONie presents vol.3『Sin of Sleeping Snow』を見た。
ネタバレ満載。

初めてのディスグーニー作品観劇。

初日マチネが4時間と聞いて、覚悟はしてたんだけど、
元々あんまり知識がないこともあって1回目は上演時間の長さに負けた。

2回目以降は登場人物も覚えたし大筋もわかったんで、
かなり細かいところまで見られるようになった。
長さ自体もぎゅっとコンパクトになったしね!

天才山県昌景と悲劇の当主武田勝頼
勝頼の敗退する長篠の戦いに向かって、ストーリーは進んでいく。

全編派手な殺陣、照明、演出、音楽に彩られてるんだけど、とにかくセンスがいい。
衣装、ヘアメイクもカッコイイ。
ボリューミーな衣装だから、殺陣とかで回転した時にしっかり広がる。
3枚の仕切りを使ったシーン切り替えは鮮やか。
音楽も挿入歌も美しい世界観を形作ってる。
オープニングと、クライマックスでのリプライズが本当にカッコイイんだー。

鈴木拡樹くんの昌景。
何度か彼を舞台生で見てるけど、彼の殺陣はいつもめちゃくちゃ作画のいいアニメの戦闘シーンを見てるみたい。
どの瞬間を切り取っても全部絵になる。
一瞬一瞬の留めが物凄く上手いんだな、きっと。
天才であるがゆえに、先が見通せてしまう空虚さみたいなものを感じた。
昌景にとっては信玄公と天下を目指した瞬間だけが真実だったんだなあと思った。

安西慎太郎くんの勝頼。
立ち居振る舞いが身分の良さを感じさせる。美しい。
役柄的に殺陣が少ないのが残念だけど、それでも数少ない殺陣のシーンは圧巻。
重力を感じてるのか?ってくらい動きが軽やか、回転が速い。
彼の殺陣は唯一無二ですなあ。
実力以上の重責を背負い、徐々に追い詰められていく勝頼をヒリヒリするくらい丁寧に演じてた。
「死ねばいいと思ってた」と昌景に叫ぶシーンは本当につらい。
信玄公の愛を一身に受ける昌景に対する激しい嫉妬心。
口にすると本気で向き合わなくちゃいけなくなるから自分の中に押し込めていたそれを、
殴りつけるように本人にぶつけた。
勝頼が素の感情を爆発させて、初めて本音を曝け出した瞬間だった。
死んだ信玄公や四天王に背中を押されて、何かをぐっと堪えて走り出す勝頼のシーンも涙腺が緩む。
安西くんは激しい感情の揺らぎを表現するのがとても上手い。
観客である私たちが共通してどこかに持ってる感情の欠片を刺激するから、
見ていてとてもヒリヒリするんだと思う。

新垣理沙ちゃんの春日虎綱ちゃん。
初めて演技を見たんだけど、凛々しい! かわいい! カッコイイ!
衣装もとってもキュートだし、殺陣も上手い。
虎綱ちゃんは一目でファンになってしまった。
声がもっと通るようになれば、もっとよくなると思う。喉の調子悪かったのかな?

山口大地くんの内藤昌豊
舞台上に立った時の存在感がすごい。
ビジュアルももちろんなんだけど、声の出し方、動き、自然と人の目を惹きつける。
一番大事なことは口に出さない、漢の中の漢。
瀕死の時に「虎綱…虎綱…」って呟くところで泣いてしまった。

小谷嘉一くんの秋山虎繁。
殺人兵器のように無表情でザクザクと人を斬っていく殺陣がとてもいい。
あれだけ物静かで感情を表に出さない秋山が、
ボロボロになりながら虎綱ちゃんに「みんな無事です、だから生き延びると約束してください」って言うシーンは本当に苦しかった。
自分は四天王ではないと言っていたけど、でも秋山は確かに四天王の一人だった。

谷口賢志さんの明智光秀
とても魅力的な明智さん。
落ち着いた物腰で語り掛けてくる時の声が特に素敵。
背が高いから舞台上の存在感も抜群、ガンアクションも最高。
有能で周囲への気配りもできる、織田家臣団のお兄さん。
ただ有能であるだけに背負わされるものが大きく、見えてしまうものも多過ぎて、
これから女媧に狂わされていくのかと思うとつらい……
信長を信じ、真っ直ぐについていこうとする秀吉とはとても対照的。
12日前楽、家康の日替わり回想シーン「浦島太郎」で、前髪で釣り竿やらされてたのはクッソ笑ったww

石川智晶さんの女媧。
まさに人あらざるもの。
神々し過ぎて眩しい。
そしてさすがの歌声。
女媧の存在によって、舞台全体に薄い氷のフィルターをかけたような世界観になってる。

勝家さんのジャイアンツネタを意地でも削らない姿勢好きでした。
でもジャイアンツのスタメンとか落合福嗣くんとか三冠王とか野球ネタのオンパレードだったけど、
観客女の子ばっかりの舞台でよくやったなww
全然通じてないと思うんだがwww

とにかく殺陣が激しくて物語自体も長いから、役者さんは本当に大変だっただろうなと思う…
お疲れさまでした…

キーワードは「季節」「罪」「雪」とかそのあたり。
この比喩のオンパレードが全然意味わからなくて1回目はただただ物語の筋についていくのに必死だった。
3回目にしてようやく自分なりの解釈が出て来た。

「罪」とは、何をしてでも天下が欲しいと願うことかな。
昌景は実の父親を殺してでも信玄公と天下が見たかった。
明智さんは信長の突き進む天下への道筋に疑問を感じていた。
彼らはそれぞれ女媧のお眼鏡にかなった。

昌景は長篠の戦いで一体何をやろうとしていたのか?
馬場さんが、戦は思いや美学ではなかったこと、それに気付いていたのは昌景だけだったことを勝頼に謝るシーンがある。
織田信長の出現で、時代は新しい局面に進んだと考えていいと思う。
その象徴が種子島
昌景は、信玄公や四天王の「風林火山」のような美学の元に行われる戦は、
もう通用しなくなったことに気付いていたんじゃないか?
信玄公や謙信が築いた刀と馬による戦国時代は、個々人の強さが重要になる。
技術が要求されるから。
だからそこに美学とか信念とかが生まれる。
でも鉄砲にはそんなもの必要ない。
ほとんど訓練を受けていなくても、大勢並んで引き金を引けば、優秀な武将を撃ち殺せてしまう。
史実的には鉄砲だけじゃなくてもっといろいろあるみたいだけど、象徴としての種子島ね。
いずれ幕末に繋がる、近代の匂いのするものと言ってもいいのかもしれない。

昌景は現四天王たちに、長篠で死んでほしいと言った。
それが昌景の二回目の罪となるわけだけど、
どういう罪かといったら、「思い」や「美学」の塊のような武田四天王
つまり古い時代のものを全て捨てて、勝頼に天下を取らせようとしたこと。
自分たちでは、信長の連れてくる新しい時代の波に乗れないことをわかっていた。
昌景にとって信玄公と共に歩んだ四天王は本当に大事なもので、それを変えることはできなかった。
彼がこの〝場〟にこだわらなければ未だに天下を取る器で居続けられたのかもしれないけど、
昌景はそうはしなかった。
代わりに覚悟を決めた明智さんのところに、女媧は現れた。
それから多分、新しいものの捉え方ができた家康のところにも。

五つ目の季節とはなにか。
昌景は五つ目の季節とは勝頼だと言った。
四天王は四つの季節に割り振られた。
四つの季節はぐるぐると移り替わりながら繰り返す。
そんな中で、五つ目の季節とはつまり、
それまで繰り返していたものが終わり、新しい段階へ進むということ。
時代が移り変わるということ。
勝頼は、信玄公や謙信が駆け抜けた時代の、次の世代。
昌景は勝頼であれば新しい時代の波に立ち向かっていけると思った。
「季節は本当に四つでしょうか?」という問いはつまり、
繰り返す季節の中にも新しい風が吹き込むのではないかということかな。

昌景はいつ、自分を含めた古い時代を捨てることを決めたのか?
彼が女媧に、天下を取りたいと言うことはもうない、と告げたのは、勝頼に詰られた直後。
勝頼は昌景に、信長が本願寺を焼き討ちする未来も察していたのかと訊く。
昌景は肯定する。
では何故なんの手も打たなかったのかといったら、
もう完全に憶測でしかないのだけど、
昌景はその可能性を察することはできても、信長が実際にその手段を取る、という考えには及ばなかったんじゃないかと。
昌景もやっぱり「思い」の武田の四天王だから。
イジメる戦を嫌う武田だから。
あの結果を受けて、昌景は自分たちでは無理だ、ということに気付いた…んじゃないのかな……
それまで、昌景は勝頼と一緒に親父殿を越えよう、って言ってたわけだから。
でももう信玄公を越えるだけではダメ、全く違うベクトルへ進まなければ、天下は取れなくなってしまった。

勝頼は血反吐を吐くような思いで昌景に「死ねばいいと思っていた」と告げた。
勝頼が昌景を憎く思うのは、まあ当然。
勝頼の立場にいたら誰でも死ねばいいって思う気がする。正直。
じゃあ昌景が勝頼に死ねばいいと思ったのは何故か。
端から見たら、勝頼なんて全く信玄公に愛されてなくて、昌景はもう充分過ぎるくらいの愛情を信玄公にもらってる。
それでも昌景は勝頼を見ていた。
昌景は信玄公と勝頼の、血の繋がりという絆を見ていたのかもしれない。
彼は実の父親を殺すという罪を犯して、それと引き換えに得られた信玄公からの無償の愛、信頼、天下への道だったから。
信玄公がいくら勝頼を差し置いて昌景に全家督を譲ると言っても、
昌景は素直にそれを受け入れることなんてできない。
勝頼を四天王に入れても家臣たちは動揺する(実際にしてた)。
当然勝頼に譲る、って言うし、自分は四天王の座に再び落ち着いて赤備えを率いる。
でも本当は、信玄公の全てである武田というものを受け継ぎたかった。
遺志を継ぎたかった。
勝頼さえいなければ、その位置に立っていたのは自分だった。
昌景は「綺麗」でいるために身の内に「汚い」ものを抱えた。
それこそが雪、なのかも。
雪は顔を近付けてよく見ると汚い。

眠りに落ちるということは自分の罪を忘れるということ。
雪で覆い隠すということ。
雪とはいろんな人間的な感情の吹き溜まりか?
近くで見るととても汚いけれど、それが集まり遠くから見ると一面真っ白でキラキラしている。

そして天下とは欠けない月……
つまり時代が、季節が移り変わらないということ。
季節が移り変わらないということは、人を超えるということ。
かなあ。

12日前楽、昌景の最後のセリフが「その罪を背負い、参る」になってた。
元々は「その罪を受け入れ」。
受け入れる、という言葉は受動的。
自分の罪を認めるということ。
でもあの昌景は「背負う」と言った。
覚悟が一段進んだ気がした。
背負う、ということは、両肩でその重みを受け止めると決めること。
責任をもつということ。
能動的。
彼は自分のやったことを認めただけでなく、その責任を負う、という覚悟をした。
自分の命と引き換えに、勝頼に天下を取らせる道を選んだ。

でも、勝頼は最終的に天下を取ることもできず、
追い詰められて自害するということを我々は知っているから、本当に苦しいなあこの物語は……
急激な時代の変化に押し潰される人たちというのは少なからず存在する。
武田一派もそのうちのひとつだった。

西田さんの舞台はこれまで「もののふ白き虎」しか見たことがないんだけれど、
会津と白虎隊っていうのはまさに時代にの荒波に押し潰された象徴的な存在で、
西田さんはそこらへんが好きなのかなーと思った。
私は生粋の判官贔屓なので、武田にものすごい肩入れしてしまう。
ていうか、西田さん義経の話もやってくれないかな。
彼も時代に押し潰された天才の一人なんですけど。

どうもリンカネシリーズと繋がりがあるらしいんだけど、
そっちは未見なので全然見当違いのことを言ってるのかもしれない。


正直初日に見た時はおいおいこの舞台本当に大丈夫か?って(長さ的な意味で)
思ってたんだけど、もう3回目には全然そんなこと感じなかったし、
もっと見ておけばよかった…って思った。

舞台にしろなんにしろ創作って、
書きたいもの全部出すだけじゃなくて、
そこから泣く泣く血を滲むような思いをして削っていく作業もやっぱり大事なんだろうなと思う。
そうすることで作品の精度というか、純度が上がるんだろうなと。
濾過みたいな。
その作業を経てないと、観客はどのシーンが本当に言いたいことなのか、わからなくなってしまう。
実際、初日はそれがわからなくてだいぶ苦しんだし、
濾過された4日目の公演はすごくすごくよかった。
初日の前にそういう濾過作業は終わらせておいて欲しかったけど、
本番始まってからの成長っていうのは著しいものもあるとは思ってるから…とはいえ…うーん…
なんにせよ、見れば見るほどよさがわかってくるスルメ舞台だったことは確か。

またディスグーニーの新作があったら是非見に行きたいと思います。
次は安西くんにもガチガチの殺陣があるといいな!


※追記
新垣里沙ちゃん、小谷嘉一くん、結婚おめでとう!
結婚前最後の共演を見られたことに感動している…!
幸せになって欲しいな~~~!!!

兄と弟

舞台

 ※2016.02.21昼観劇

 

鈴木勝秀演出、安西慎太郎主演の『僕のリヴァ・る』を見た。

チケット取るのが物凄く大変で、一公演分取るので精一杯だったんだけど、蓋を開けてみると一回見るのがちょうどいいのかもしれないなあと思った。

いい意味でね。

360度のセンターステージだったから、複数回見に行ければいろんな視点から見れたのかなとは思うんだけど。

前から3列目で中心から少し左寄りの、良席でした。

舞台セットはいたってシンプル。白い箱の中に、扉のような木枠。

基本的にはそれだけ。

小道具と役者の衣装。あとは我々の想像力のみ。

 

3歳のお兄ちゃんと生まれたばかりの弟。

ゴッホとテオ。

盲目のジェロニモとその兄。

 

このテーマ聞いただけでどう考えても面白い。

 

いきなりハイテンション気味に鈴木くんと山下さんが飛び込んできて前説。

客席全体、ちょっとこのテンションについていっていいのか戸惑い気味だった気がするww

鈴木くんが客席に降りてきて話しかけたりなんかして、どうやら笑っていいらしいって会場全体の空気がほぐれた感があった。

予想以上に役者さんが近くてほんとに息遣いまで聞こえてきそうだった。

前説で3本のオムニバスストーリーであることを全部説明してくれるから前知識一切なくても大丈夫。

親切設計ダネー。

 

1本目。3歳のお兄ちゃんと生まれたばかりの弟。

こばかつさんが生まれたばかりの弟ってなんなんだよって思ってたけど、生まれたばかりの弟だった。

ばぶばぶ、だーって言ってた。

生まれたばかりの弟にママの愛情のほとんどを横取りされてむくれまくるお兄ちゃん。

弟は弟でママでもパパでもない、自分よりちょっと先に生まれたらしい人間のことをこいつは誰だって怪しく思ってる。

安西くんとこばかつさんの掛け合い……って言っていいのか?独り言の応酬が、歯切れよく進んでいくから聴いていてすごく気持ちいい。笑いどころもたくさんある。

私も姉だし、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」っていう理不尽極まりない言葉を投げられた記憶はよく覚えてる。

上の子っていうのは下の子が生まれた途端、とにかく我慢を強いられる。

多分ほとんどの上の子が経験してると思う。

そんな理不尽を浴びつつも、おむつ被ったり暴れまわったりしつつも、なんだか憎めない。

安西くんがとにかくよく動く。

今回は大人しめの舞台だからそうそう彼の身体能力を見ることはないかと思ってたけど、

時々人間らしからぬ動きをしてたね。

「わかんない。でも嫌いじゃない」

タロウがこのセリフを言った瞬間、観客はこの舞台の意図――というより意思?を理解する。

生まれた時から半強制的に一緒にいることを余儀なくされて、友達とはちょっと違うし、親ほど愛情を注いでくれたり庇護してくれたりするわけでもない、好きなのか嫌いなのかもよくわからない。

でも人生の長い時間を共に過ごすことになる存在。

「リヴァル」
「リヴァル」
「試合開始ってことだな」
「うん」
「フェアプレイだけとは限らないぞ」

「でも、いい試合にしよう。ノーサイドまで」
「あぁ」

いいセリフだ。

 

2本目。フィンセントとテオ。

あらすじが公開された時からこれを一番楽しみにしてたんだけど、予想通りというかなんというか、鈴木拡樹くんのフィンセントはおそろしかった。

生きなければならない、でも生きていくことが難しい。

描かなければいけないのにそれすらもままならない。

絵の中に自分が見つからない。

何もできないまま時間だけが刻々と過ぎていく。

周囲は生きていくことを押し付け、狭い部屋の中に閉じ込めようとする。

苛立ち、焦燥、疲弊に満ちた時間。

場面が切り替わる時に流れる混線したラジオみたいな音が、混線していくフィンセントの頭の中を表しているみたいだった。

手の動きが怖い。顔を撫でる手、髪を掻き毟る手、パレットナイフを掴む手。

あんなに人の手の動きを怖いと思ったことはそうそうない。

 目には常に光がない。激昂する時だけ爛々と輝く。

テオは本当に兄を愛していたのだろうか?と考える。

いや、その言い方は語弊があるな……愛していた。それは間違いない。

でもそれ以上に兄の描く絵を愛していたような気がしてならない。

 兄があれだけ描くことに苦しんでいるのを見ても、筆を置けとは一言も言わなかった。

それどころか兄が一人前の画家になったと聞いて狂喜した。

テオはテオで、兄をあの額縁の中に押し込めてしまったような気がしてならない。

生きるために血反吐を吐くような思いをして、最後に残った感情が「もう俺は死にたい」。

あんなにもがき苦しんだフィンセントに、これ以上生きてなんて言葉はかけられないと思った。

自分は絵を描くことしかできないのに、誰一人として自分の絵を買わない、一枚も売れないっていうのはどういう気持ちなんだろう。

誰も自分を見ていないような気分に陥って、とてもじゃないけど生きていくことなんかできないと思う。

フィンセントの狂気に巻き込まれて、

見ているだけなのに本当に耳鳴りがして体調が悪くなっていくというすごい経験をしました。

ただの四角い額縁によって、我々の頭の中にあるゴッホの向日葵を想起させる演出は気が利いている。

あの美しく力強い向日葵の絵。

最後のテオの一連のセリフはとても美しく悲しい。

「あなたの頭は時々狂ったが

あなたの絵は最後まで狂わない。

脳病院の庭で、発作の翌日描いた絵でも線と色はたしかだ。

絵はあなたの理性であり、

絵はあなたの運命であった。

運命のまにまに、あなたは燃えて白熱し、飛び散り、完全に燃えつきた。

最後の時にあなたは僕の手を掴んで

もう俺は死にたいと言った」

「苦しみの中からあなたは生れ

苦しみと共にあなたは生き

苦しみの果てにあなたは死んだ。
37年の生涯をかけて

人々を強く強く愛したが
誰一人あなたを理解せず、愛さなかった。

あなたは英雄ではなかった。
あなたはただの人間であった。
人間の中でも一番人間くさい弱さと欠点を持ち
それらを全部ひきずりながら
けだかく戦い
戦い抜いた。

そんなあなたを支えたことを

本当に誇りに思う」

 

3本目。盲目のジェロニモとその兄。

フィンセントとテオで心に深いダメージを負ったので、なかなか気持ちに入れなかったんだけど、ふらふらしてる間にどんどん話が取り返しのつかない方向に進んでた、という感じ。

日替わりジェロニモソングは犬のおまわりさんでした。

Let it go歌った回もあったって言うから聴きたかったー。

もう笑いどころここしかなくてあとはつらいばっかり…

この3本目でも旅人の鈴木くんが本当に怖くて震えてた。

悪意を撒き散らす理由がわからなくて怖い。

通りすがりの悪意によって、兄弟の人生が狂わされていくんだから堪らない。

心の優しいお客さんからもらった金貨を、兄が隠している。

一度生まれた疑念は、お兄ちゃんがどれだけ言葉を尽くしてもなかなか晴れない。

ジェロニモは見ることができないから。どんどん頑なになる。

もう本当に手が付けられないくらいやんちゃするんだけど、

見えないことによって日々感じてきたストレスを一気に発散させているような気がした。

でも、そんなお金を使い込んだって、ジェロニモの気が晴れるわけない。

ジェロニモ自身も、本当に欲しいのはお兄ちゃんが自分を裏切っていないという確信だっただろうから。

もどかしい。とにかく何もかもうまくいかない。悪意ある旅人一人のせいで。

お兄ちゃんは自分の人生を犠牲にしてずっとジェロニモに寄り添ってきたのに、

ジェロニモはもうずっと前からお兄ちゃんのことを疑っていた。

あれほど重苦しくて骨の髄にまで浸み込むような沈黙、経験したことがない。

お兄ちゃんは散々悩んだ挙句に、結局弟のジェロニモから逃げ出さず、罪を犯す方を選んでしまった。

ここまでやったんだからもしかしたらこれで関係が改善するのかと思ったら全然そんなことないし。

そして憲兵がやってきた時の絶望感ったらない…

旅人と同じで鈴木くんがやってるからもうやめてくれ来ないでえええって思った。

お兄ちゃんの高笑いからの絶叫。

こばかつさんの圧倒的演技力。

「大丈夫ですよ。弟を置いて逃げたりしませんから」

「弟がいなかったら、俺は生きて来れなかったんです」

滂沱の涙と共に絞り出される言葉が突き刺さる。

周りから見ればジェロニモこそお兄ちゃんがいなければ生きてこれなかったのに、

(いくら盲目のきっかけはお兄ちゃんとはいえ、見ている方が苛立ちすら感じるほど、ジェロニモはお兄ちゃんに暴言を吐いていたのに)

お兄ちゃんこそが、ジェロニモがいなければ生きてこれなかったという。

もう死んでしまいたいようなつらい時も、残された弟のことを考えたら、

とても一人で逃げ出すことなんかできなかったから。

目の見えないジェロニモが、金貨を手から滑り落とし、お兄ちゃんの顔に触れた時。

全てを理解したんだろう。お兄ちゃんのやったこと。お兄ちゃんがやろうとしていたこと。

失われていた信頼が、やっと、戻ってきたんだろう。

彼の頭の中にも、お兄ちゃんと一緒に過ごしてきた日々が蘇ったんだろう。

安西慎太郎ってすごいなあと思った。

彼の泣きの演技は物凄く浸みる。

お兄ちゃんはジェロニモを置いていけば新しい道を見つけられたかもしれないのに、

それを選ばなかった。

血を分けた弟と共にあることを選んだ。

あまりに救いがなくて、かなり落ち込んでしまった。

この兄弟が、絶望へ足を踏み入れる以外の道はなかったのかと考えてしまった。

兄弟ってなんだろう、って一番考えさせられた。

 

血の繋がりって全然関係ない時もあるし、やっぱり関係ある時もあるよね。

血が繋がってるってことは、何億年も脈々と受け継がれてきた遺伝子を共有しているということで、

それが重要か重要じゃないかは文脈によるにしても、やっぱり何か繋がりがある。

親ほど無償の愛をくれるわけじゃない。

友情ほど固い信頼関係で結ばれているわけでもない。

むしろ何かにつけて競争相手、リヴァルになることの方が多い。

それでも、お互いに手を取る瞬間がある。

兄弟の間でしかわかりあえないものがある。

そういう、言葉で言い表せない絆の話。

 

最上質の演劇を見たと思いました。

鈴木秀勝さんという人はすごい人なんですね。

見に行ってよかったなあ。

でもあまりに芝居の持つパワーが強くて、一度見ただけでだいぶお腹いっぱい!という感じ。

何回も見たらこっちが負けてしまう。

まあ、チケット一公演しか手に入らなかったんですけどね!!

安西くんはこれからも更に更に飛躍していく俳優さんだと思ってるので、

今後も楽しみですね。

アリシーという完成された女の子

舞台

※2015.12.12観劇

青山真治演出の『フェードル』を見た。

松田凌くんがお姫様役をやる、って知って、わけがわからなくなってとりあえずチケットを取ってしまった。

松田くん、Kのシロをやった時確かにものすごく可愛かったんだけど、でも男の子だし、普段の松田くんはかなり雄だし、それがお姫様?どうなるの?って気になって仕方なくなったんだ…

 

公演が始まってから見に行くまでしばらくあったから、ついったで感想とかぽちぽち見てたんだけど、露出がすごいとかすごくお姫様とかいやだいぶ男残っててお姫様はキツイとかいろいろ見ちゃって混乱して一旦見るのをやめた。

そしたら松田くんが自分のブログに写真上げてるから、もう、ウワーーーーーーーーッて言葉を失くした豚になった。

女の子じゃん。かわいい。

 

とまあ、こんな感じでフェードルとかラシーヌとかの知識は全く仕入れないまま、そこそこ不純な理由で見に行った。

 

上演時間は100分。そんなに長くない。

一気にストーリーは進んでいく。

中学高校時代に演劇をやってて、桜の園だのシェイクスピアだのもちらっと触れたりはしてたけど、ガチガチの古典演劇を見るのはかなり久しぶりだった。

怒涛のセリフの洪水。

上手い人たちの口から迸るセリフっていうのは洪水みたいに耳に雪崩れ込んできてあっという間に頭の中がセリフにひたひたに浸かっていくんだなあと。

 

とよた真帆さんのフェードル。

どうしてあの長いドレスの裾を一度も踏まずに舞台の上を軽やかに移動できるのか?

全てのポーズが完成され尽くしている。

老婆みたいにへなへなだったフェードルが、恋を自覚し口にしてから目が爛々と輝きセリフに力が灯り人が変わったみたい。

恋する姿は少女じみてるのに考えることは老獪で強か。

舞台セットの階段を転げ落ちてきた時には本当に気が狂ったんじゃないかってぞっとした…

私の想いが怪物という形となってイポリットを殺したんだと叫ぶフェードルの狂気。

ラストシーンの立ち姿は本当に絵画みたい。

 

凄過ぎて茫然としたのが、高橋洋さんのテラメーヌ。

イポリットの死を伝える長ゼリフの説得力と迫力。

語られる言葉のひとつひとつから、観客の頭の中に情景がまざまざと浮かび上がって、イポリットの死の悲惨さに鳥肌が止まらなくなった。

馬に引き摺られて誰ともわからなくなったイポリットの亡骸を見て「イポリット様はどちら…?」って茫然と呟くアリシー…全てを悟って悲鳴を上げて気を失うアリシー…テラメーヌの語り口が悲痛過ぎて涙が出そうになった…

まあ今回は全部嘘だったんですけど…

舞台役者さんのセリフ力ってここまで観客を揺さぶるんですね…

 

で、松田くんである。アリシー姫である。

今回のキャッチコピーが

 

女ってすごい

女ってこわい

女って可愛い

 

そんな中で松田くんが絶世の美女と言われているアリシーをやることにどんな意味があるのか。

アリシーはフェードルに比べて、特別キャラクターそのものが立った女の子ではない。

スペックで形成されている。

絶世の美女、裏切り者の末裔、冷遇されてきた生い立ち、それでも失われない凛とした芯の強さ。

誰にも恋したことのなかったイポリットが魅かれるのも当然、アリシーは途轍もなく完成された女の子だ。誰もが好きになってしまう。

美しい女の子がやれば、それはそれは絵として出来上がるだろう。

でもそれって多分あまりに当たり前なんだろうな。

松田くんという男の子がアリシーを演じるためには、女の子の持つ美しさや凛とした強さへ自分を寄せていかなければいけない。

その寄せていく過程を経て表現された女の子の美しさ、強さに、観客は説得力を見出すんじゃないかな。

歌舞伎の女形が演じる女の人に対して、普通の女の人以上に女らしさを感じるのと似たような感じ。

松田くんが演じていたのは多分完璧な女の子という概念なのかもしれない。

好きな男の人を見つめる眼差し、引き裂かれようとしてもその運命に立ち向かう強さ、柱に寄り添う立ち姿。

はーーーーーーーーーーーーー、とにかくとても可愛かったんですね。

「イポリット様」っていう第一声から全身に変な汗かいた。

美しく若々しく可愛らしくて可憐で一途で一生懸命で素直でっていう要素が全部煮詰まってた。

ちょこちょこ松田くんの元々持ってる半端じゃねえ強さみたいなの漏れ出ちゃってたけど、それでもとても可愛かったんですねえ。

そもそもアリシーの衣装がめちゃくちゃ可愛いんだよなあ。

どうしてもう見れないんだろう。

 

ラストのエノーヌとテラメーヌの裏切りはこの舞台オリジナルらしい。

さようなら、フェードル。こんにちは、フェードル。

なんで『こんにちは、フェードル』なんだろう。

まだまだこの世に生まれてくるフェードルという名の女の怪物に対する挨拶?

演出の青山さんがこういう女性は現代にもいる、みたいな話をどこかでしていた気がするし。

「こんにちは、まだ見ぬ恋に憑りつかれたフェードル(もう私たちは知ったこっちゃないけど)」ってことなんだろうか。

舞台の中央にあった赤い糸玉、運命の赤い糸とは言うけど、でももしかしたらその赤は血の赤なのかもしれないし、運命ってその響きほどいいものでもないのかも。

『愛してる』の失われた世界へ

映画

※2015.12.6観劇

伊藤計劃原作の映画「ハーモニー」を見た。

過去・現在・未来で三部作の構成ということで、本当なら三作目としての公開のはずが、二番目に。

やっぱりどうせなら順番に見たかったなーーーーと思うけど仕方ない。

以下ネタバレあり。

 

約二時間、モノローグが多いので、たっぷり沢城みゆきの声が聴ける。

沢城みゆきが好きな人にはもうそれだけで堪らない時間かも。

実際私は堪らなかった。

そしてなにより、上田麗奈のミァハが、耳をすり抜けて脳みそに滑り込んでくるような声をしてた。

あの声で「このからだは自分ひとりのものなんだって、いまここで証明して」って囁かれたら気が狂いそう。

「トァンはさ、私と一緒に死ぬ気ある……」っていう、疑問符を「……」で表す原作の独特なニュアンスを、声で表現できてたと思う。本当に凄い。

ミァハという圧倒的カリスマを持った女の子、十代女子の心の隙間に入り込んで離さない魅力、その説得力があった。

圧巻でした。

榊原良子さんはいつもどおりの安定感。

こういう厳格で、社会的にも精神的にも地位の高い女の人をやらせたら右に出る人いないかも。

 

絵は戦闘シーンになるとポリポリするのが気になったかな。

基本的には綺麗。

SFだからこそ手描きの質感があるともっとよかったけど…

redjuiceの絵が質感たっぷりだったから。

拡視はよかった。

キアンの「えう」をどうやって表現するのかすごいビクビクしながら見てたんだけど、透明なグラスに赤い血液が落ちて一気に濁るシーン、これから世界が急転直下の大混乱に落ちていくのを暗示してる感じがしてよかった。

あっあと武装運搬山羊はすごく思ってたとおりでこれこれー!ってなって好きなギミックでした。

ETMLの表現は、もっと他にビビッとくる表現方法があったんじゃないかなというか、それを楽しみに見に行ったから、ちょっとがっかりではあった。

 

で、ラストの改変の話。

賛否両論みたいだけど、見た時はそこまで激しく『改変』だとは感じなかった。

原作の動機は復讐が占めてたけど、映画は愛憎入り混じった結果っていう印象を受けた。

 

「でもね、その世界にあなたは連れていかない。私が好きなミァハのままでいて。ミァハ、愛してる」

 

ミァハはハーモニーのとれた世界へ行くことを一番望んでいたのに、トァンただ一人のエゴによってこの地獄みたいな世界に留まらざるを得ない。

それこそがミァハに対する一番の復讐にもなったはず。

『私が好きなミァハのままでい』させることこそが復讐。原作とはまた違う形の。

愛しているからこそ、愛していた彼女の最上の望みから遠ざける。

原作は冷たい復讐にほんの少しの憧憬という血の通った感情が混ざってる感じだったけど、映画はもう愛しさも憎しみも全部混ざってぐちゃぐちゃになって、トァン自身もミァハという少女にどう接したらいいかわけがわからなくなっていて、ただ向き合わなくてはいけなくて、みゆきちの悲鳴みたいな声にそれが表現されてて、すごくこみ上げてくるものがあった。

だからある意味原作と向いてる方向は同じで、ただトァンの表現の仕方が違っていて、これはこれでひとつの人間のかたちなのかな、という感じがした。

というのも、ハーモニーのとれた世界では、争いも憎しみもなくなるのと一緒に、『愛してる』という感情もなくなる。

誰かを愛しいと思う心もなくなって、全て自明の元に置かれる。

愛しいという感情は、ベクトルが憎しみと違うだけで、激しい感情の揺れであることに違いはないから。

全てが消えてなくなる前に、トァンはその『愛しい』という感情にも別れを告げたのかなと。

個人的な感情こそが個人であることの証だと思う。私が思っていることを他の人がそっくり真似することはできない。

ミァハに憧れるトァンの気持ちはトァンだけのもの。

だからこそ『さよなら、わたし』なのかと。

 

見終わったあとはなんだか身体の中がぽっかりと空っぽになった感じで、あんまり何度も繰り返し見たい映画ではない。

最後、ハーモニーのとれた世界があまりに美しかった。

「私」が「私」であることの意味。

ちょっとだけ漫画版ナウシカのラストを思い出す。

浄化されて憎しみも争いもない世界をナウシカは拒絶したけれど、ハーモニーの人類は次の領域にシフトしちゃうんだよな。

どっちがいいんだろう。

『愛してる』の必要ない世界は、すごくかなしいとは思うけれど。

 

EGOISTのGhost of a smileがぴったりだった。予告の時点からやばかったんだよなあ…

しばらくずっと頭の中で鳴ってた。

女の子たちによって語られるハーモニーという世界に、chellyさんの声はものすごく親和してた。

Ghost of a smileがまたラブソングだから…

『君』と『僕』がいて『愛してる』のある世界は、ハーモニーの世界からは失われたんだなあって思うととても苦しいED。

 

原作の魅力を余すところなく伝えられてるとはとても言えないけど、それでも見たあとにすごく残る映画であったことは確か。

 

残るは虐殺器官。いつ公開なのかなー。

今の前売り使えなくなるって知らなくて、しかも払い戻し12月31日までっていうのも知らなかったから払い戻し損ねちゃったけど、払い戻すと今のムビチケも回収されちゃうらしいからまあいいや。

今のデザインも残しておきたい。

ちゃんと年内に公開されますように。